平和への祈り・原爆65周年

原爆記念の日に、貴重な体験をシェアします。

多分、誰も知らないお話です。

8月6日(金)私の田舎町から車で40分の隣町
とても美しくて平和なオークリッジにて
「興味があるなら、行ってみて」と教えてもらい、
原爆記念の祈りの会へ行ってきました。


Protest marks 63rd anniversary of Hiroshima atomic bomb(2008年の記事はこちら)

b0156202_6552873.jpg
b0156202_6555122.jpg




会場はY12という工場の外。
投下された原爆を今でも密かに作っている工場でした。

工場の前の庭に、15名くらいのアメリカ人が集まって静かに何かをしています。

被爆者の名前を一人づつ読みあげ、祈り、そばに置いてある小さい鐘を鳴らしています。
鳴らしている最中に誰かが、沈黙の中、テーブルに置いてある鶴の1つを大切に手に取り、
そばの川岸や工場の塀などへ紐のついた鶴を飾っていました。


順番はなく、読み上げたい人が名前を読んだり、当時の様子を呼んだり、
詩を読んだり、被爆者体験者の物語を読んだり・・・

聞けば、朝6時~9時まで数日間同じ場所でしているそうです。

主催者のアメリカ人男性が声をかけてくれました。

「ようこそ!嬉しいです。お越しいただきありがとうございます」

一人だけいた、年配の日本人らしき女性に挨拶。

「日本人ですか?」

「よくお越しいただきました。ありがとうございます。
私はミシガンから10日間この為に毎年来ています。

この活動はもう17年以上前からここに住む住人の方達がしてるんですよ。

多いときは150名くらいのアメリカ人が参加しました。

日本人は私だけですが・・本当によく来てくださいました。

どちらでお聞きになったんですか?
次回はぜひ一緒に盆踊りしませんか?東京音頭とか、炭坑節とか楽しいわよね~」
私が、東京音頭メキシコで踊ったんですよ~と言ったら、ものすごく喜んでくださった。

日本人らしき、お坊さんにも挨拶した。(もう一人のお坊さんはアメリカ人)

「日本からですか?」

「私はテネシーのニューポートにある妙法寺から350マイル(約560K)ほど
歩いて毎年ここまで来てます。

この期間は断食もします。
あっ、よかったら9日は灯篭流しをするのでそちらにもどうぞ」

(オークリッジの公園には、平和記念に日本の妙法寺から送られたでっかい鐘があるんです。)


「この町は、今でも秘密で作っていますよ。秘密は、誰も知らない、目立たない所にあるんです。社員の給料は通常の約3倍。シフト制で労働者も分からないんです。
この前、鹿狩をして食べるために検査したら、全て食べれなかったそうです。日本の皆さんは知らないでしょうね。ここでこういう事が行われている事を。そして現地のアメリカ人の皆さんが続けている活動の事を・・・」

主催者は、平和運動をしているアメリカ人の牧師さんだった。

午前9時前、「最後に読み上げたい方はどうぞ」の声に
私も、被爆者の方の冥福を祈る為に、名前と詩の朗読させてもらった。

なんか分からんけど、自然に涙があふれた。

こんな場所で、こんな方達が毎年何日間も活動されいうとは・・。

あったかい気持ちになりました。

折鶴のピアスをした方、折鶴のTシャツの方もいた。

その活動の周りで、ある親子が(常連らしい)奇声を発しながら
蛇のマークの旗を持ち、そのグループの周りグルグルしている。


9日は灯篭流しに参加してみます。

■Peace Lantern Ceremony

日時:8月9日(月)夜8時~

場所:Sequoyah Hills Park,West End
Cherokee Blvd(off Kingston Pike ),Knoxville ,TN

灯篭流し、影絵芝居、和尚さんも来られます。
家族で楽しめるそうです。
ぜひ日本の皆さんにも来ていただけると嬉しいと言っていました。

アメリカ人の友達に今日の事を話したら、
「私たちは、学校で原爆のお陰で多くの死者がでなくてすんだ。
原爆投下は安全策だったと教えられて来たの」

原爆開発者は英雄のようです。

そしてこの町のニックネームはシークレットシティ。

長文 お読みくださって ありがとうございます。

原爆60年 米テネシー州で記念行事 日本人との間に溝というニュースより抜粋

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
米テネシー州オークリッジで16日、原爆開発60周年記念イベントが開かれ、マンハッタン・プロジェクトと呼ばれた原爆開発製造計画に関与した研究者らと家族約70人が参加した。参加者のほとんどが「原爆投下は戦争終結のため必要だった」と話し、「原爆」に対する日本人との溝の深さを感じさせた。
 オークリッジは広島に落とされた原爆に使用されたウランを分離・濃縮した工場があり、プルトニウムを生産したワシントン州ハンフォードや、原爆の設計製造を担ったニューメキシコ州のロスアラモスなどと共に、マンハッタン計画の中核となった。
(中略)
  原爆開発計画は極秘だったため、オークリッジは49年までは地図にも存在しない「秘密」の町だった。郵便物の住所は別の町になっていた。「口が軽ければ、船が沈む」。町に住む7万5000人の研究者たちはウランという言葉を使うことも、勤務地を話題にすることも禁じられた。マンハッタン・プロジェクト歴史保存会のマイケル・ビッキオ代表は、「原爆開発の重要な歴史を保存したい」と話した。この町に、キノコ雲の下の惨状への思いは感じられなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上


Protest marks 63rd anniversary of Hiroshima atomic bomb(2008年の記事はこちら)
[PR]
by maryville | 2010-08-09 06:48 | 日々つれづれ
<< 灯篭流し 8月7日料理教室 >>